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10・戦略的互恵外交は戦後レジームを終わらせる 日本向け1部(10/10) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

10・戦略的互恵外交は戦後レジームを終わらせる
 日中は07年4月、「戦略的互恵関係」の構築で合意したが、現時点ではその中身は乏しいと言わざるをえない。従来と同じで、「わが国が中国に対して一方的に与えるだけの関係」に近い。いい例が「環境問題」である。それが深刻化しているのは中国であり、越境する黄砂や酸性雨、日本海の水質汚染という形で日本は単に迷惑を被っているにすぎない。日中両国は5項目にわたって合意をみたが、実際には2項の「エネルギー、環境、金融、情報通信技術、知的財産権保護等互恵協力を深化させる」という項目以外、具体性に欠け、とりたてて中身がない。「政治面の相互信頼を増進」とか、「共に地域の安定に向け力を尽くす」といった、はっきり言えば抽象的な文言が多く、別に「戦略的互恵」を銘打たなくても通常の国家間で行われていることにすぎない。
 おそらく中国側にしてみれば、実質的利益を得られる2項以外は「オマケ」みたいなものかもしれない。実際、2項を精査すると、「エネルギー・環境・金融・情報通信技術・知的財産権保護」などの面において、日本が中国から教えや恩恵を得るものは皆無と評してよい。むしろ、「情報通信技術」を除いた残る4つは、まさに中国にとっての“危機的要素”ばかりである。よって「戦略的互恵関係」なるものの正体は、中国が日本から貪欲に利益を引き出すための策略に等しいと言わざるをえない。
 これでは本質的には日中関係は何も変わらないだろう。とくに日本国内の空気が、この“新日中友好”に対して完全に冷め切っている。アンケートによると国民の7割もが中国を嫌悪している。なにしろ、72年の国交樹立以降、中国が日本に対して具体的に何か恩恵を与えてくれたことは一度もないので(記憶にあるのはパンダをよこしたことくらいだ)、今では「われわれは日中友好という名の詐欺に騙されていたお人好しだったのではないか」という思いが強くなっている。国家間の関係はギブ・アンド・テイクで成り立つが、中国はギブばかりで日本に対して具体的にテイクをしたことがない。メディアもまた日々「反中」「侮中」を拡大生産している。日本人は年を追うごとに中国とその社会の粗探しをしては嫌悪を募らせている。温家宝首相の来日も、結論から言えば日本人に与えたインパクトはゼロであり、周恩来氏の千分の一の印象もなかった。今では大半の日本人はそんなイベントがあったことすら忘れているし、温氏の顔すらもよく覚えていない。
 つまり、中国がいくら「日中友好・戦略的互恵関係」をうたったところで、利権のあるハイレベルはともかく、一般の日本国民が「何を今さら」と冷め切っているのが現状である。この点が70年代や80年代と大きく異なる点だ。当時は、誰よりも日本の国民自身が日中友好を支持しており、政治サイドもその空気の後押しを受けていた。日本では最終的にこのような一般国民の「空気」こそが物事を決するのであり、中国側にもこの現実を真摯に直視してもらう必要がある。
 一方、中国人民の日本に対する見方も厳しい。政治的な意図によって反日を煽られた面があるとはいえ、8割もが日本を嫌悪しているという。このような対日観の根底にあるものは、やはり過去の戦争である。しかもこれは中国人自身も気づいていないことかもしれないが、日本帝国から侵略を受け、莫大な被害を受けた史実もさることながら、実はその後に「復讐を果たせなかった」という悔しさこそが中国と人民を真に呪縛するものの正体ではないか。彼らとしては、その上、国交樹立時に「戦争賠償の請求を放棄する」という譲歩までしたのだ。おそらく、身を切る想いであったに違いない。しかも、その道徳的英断が日本において正当に評価されているならまだしも、「どうやら日本人はさして恩に感じている様子ではないらしい」と彼らの目には映っている。
 日本人からすれば、過去の戦争に対する反省および中国に対する贖罪行為に関して中国側にも理解不十分な点や悪しき誤解が多い。だが、現実問題として中国人民が心の底に対日不満を鬱積させているのが事実である。しかも危険なことに、ここに幼稚なナショナリズムを肯定した愛国教育や一般市民層の発言力の拡大、そこから醸成される排外・極右的な空気、さらに二桁の軍事力増強といった要素が重なりつつあるのだ。つまり、心理的にも物理的にも中国は大規模な外征に打って出る準備を整えつつあると言えよう。
 復讐を果たせなかったという悔しさは、思いのほか人を長期にわたって呪縛するものらしい。そしてその想いに囚われている中国人民は当然、「日本に対して復讐を遂げるべきだ」と考え、その行為を正当化するだろう。
 以上のように、日中両国民の互いに対する感情はかくも悪化しているのが現状だ。
 そしてこの事態を打開するものこそ「山田案」であり、「戦略的互恵外交」に他ならない。これが実施されれば、相手国の人民に対する直接的な友好メッセージとなり、繰り返すが、互いの人民感情を劇的に好転させる結果をもたらすに違いない。わが国にとっては何よりも中国人民の民心を掴む策略であり、それを通して指導部をも掌握することができる。
 つまり、戦略的互恵外交とは「日中の真の国交正常化」を意味しているのだ。
 とくにわが国は、自国の安全保障のためにも中国人民の対日復讐心を今ここで骨抜きにする手を打っておくべきである。つまり、相手の心理的な武装解除を行うのだ。
 ODA3兆円の債権を放棄するというのは、たしかに大きな政治決断である。だが、それによって得られる国益を見据えれば、大いに実行する価値のある戦略であるはずだ。
 われわれは、「日中共同声明第5項の賠償請求放棄は毛沢東と周恩来が決めたことだから変えるべきではない」などと考えるべきではない。なぜなら、日中国交樹立時の中国内の状況は、独裁者・毛沢東が何でも好き勝手にできる状態にあったからだ。つまり、当時は民意を無視してそれが強行されたと考えるべきであり、事実、今日の中国人民はその時の決断に対して明確に「毛沢東と周恩来の歴史的ミスだ」との審判を下している。われわれは、この現状の民意こそ重視すべきであり、よって中国人が日本に対して憤り、見返りを要求する正当な権利があることを理解し、この際、ケチな発想は慎むべきである。
 さて、ここで改めて「拉致問題」という原点に返ろう。
 今や「拉致敗戦」なる言葉までが使われ始めている。今次「日朝戦争」において、わが国が「拉致された生存者とその家族の全員を救出する」という戦争目的を達成できなければ、たしかに敗戦と言わざるをえない。
 だが、本当に勝負はついたのだろうか。私はそうは思わない。戦争を遂行するに当たって従来は同盟戦略を間違えていたというのが私の考えである。日本はあまりにアメリカの対北圧力に依存しすぎていたが、これが誤りであった。最新の6カ国協議(07年10月)の成果では、「北朝鮮が12月31日までに核施設の無能力化や核開発計画の申告等の非核化2段階措置を完了すれば、アメリカが北朝鮮をテロ支援国リストから削除する」ことが決まり、今年初め頃の米朝交渉が追認された。これは日本の立場からすれば、拉致問題の解決に関して日米同盟が役に立たなかったことを意味する。
 こと拉致問題に関する限り、比重を移すべきは中国との“臨時の同盟関係”である。私はそれを最初の段階から見抜き、主張してきた。
 この「山田案」の存在は、日本政府にとって残された希望であり、幸運である。なぜなら、「北朝鮮による日本人拉致問題」という戦後最大級の国難に対して、「自身のインテリジェンスによって解決した」という事実を歴史に残すことができるのだから。
 しかし、肝心の指導者にそれを見抜く力量がなければ、何の意味もないのも確かだ。
 私自身も歴史の偶然に驚いているが、奇しくも福田康夫氏が新総理に就任した。周知のとおり、父親の福田赳夫氏は1976年12月から2年間、総理を務め、78年には鄧小平氏を日本に招き、日中平和友好条約を締結した人物である。
 つまり、福田新総理が「戦略的互恵外交」の実施を決断すれば、親子二代にわたり日中間の縁を取り持つことになる。それこそ福田氏の歴史的使命なのかもしれない。
 今や福田氏自身は、あらゆる意味で拉致問題を解決しなければならない立場にある。拉致被害者の最初の帰国に際しては、安倍氏との路線対立があったと言われている。総裁選挙中には「私の手で解決したい。私を信頼し、応援してほしい」と明言した。福田氏としては、この約束を果たし、安倍前総理との違いを証明して見せなければならないはずだ。また、これは福田氏個人の問題に留まらず、2年以内に総選挙を迎える自民党の命運にも関わってくる。端的にいえば、拉致問題を解決すれば与党は選挙に勝つ。なぜなら「戦争」における勝利ほど国民を熱狂させるものはないだからだ。
 幸い、拉致問題解決の鍵を握る中国が対日接近を始めた。日中関係に関しては06年9月以降、プラスの政治資産が重なりつつあり、これを活用することでわれわれは拉致問題解決の突破口を切り開くことができる。それを成し遂げるのが「戦略的互恵外交」だ。
 小泉純一郎総理の時代、日中両国は「負のボール」を互いに投げあった。だが、今度はそれとは正反対に「正のボール」を投げあい、ともに勝利者となるべきである。
 その結果として得られる成果こそ、真の意味での「戦後レジームからの脱却」であろう。

(了)

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

1・法理的には正しかった最高裁の棄却判決 日本向け2部(1/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

はじめに
 1部で述べた私の提唱する拉致問題の解決策を簡単にまとめてみよう。
 まず土台として長期の国家戦略の方向性に沿って考え出された「日中戦略的互恵外交」がある。その枠内で、日中は第一段階から第四段階までの互恵外交のキャッチボールを行うが、拉致問題の解決策に当たるのは第一段階だ。それは「通常策」と「非常策」に別れる。中国がその持てる影響力をフルに行使することで、前者は北朝鮮から平和裏に拉致被害者を奪還する策であるが、後者はクーデターを使嗾して金正日体制そのものを転覆する策であり、前者が不成功に終わった場合の次策と位置づければよい。
 私の考える解決策とは、以上のようなものである。
 だが、このような山田案の有効性が簡単に理解されるとは思わない。これは小手先の思いつきではなく、未来を見据えた国家戦略をも踏まえたものだ。ただ、それを理解していただくためには、逆に従来の策や方針がなぜ間違っているのか、なぜ山田案が戦略的にも正しいのか、そしてそれらが今後の国際情勢とどう関わってくるのかといった点について、さらに詳しく論じる必要性を感じた。そのために2部を設けることにした。内容には1部の繰り返しも多々含まれるが、それは筆者の趣旨をより深く理解し、納得していただくためであると了承していただきたい。
 もし「戦略的互恵外交」が成功に導かれれば、その影響は日中関係が「ウィンウィン」として劇的に改善されるに留まらない。最終的に世界の勢力図すらも塗り替えていく可能性を秘めている。今やEUの研究機関はドルの基軸通貨体制の崩壊が近づきつつあることを警告している。つまり、大戦後の世界システムが終焉をむかえ、世界は新たに多極化の時代を迎える。それを見据えれば、「日中新時代」の始まりが単に二国間関係の改善に留まらず、別の意義も秘めていることがお分かりいただけるはずだ。
 本稿のひとつの目的は拉致問題を解決した上、この扉を開かんとすることである。

1・法理的には正しかった最高裁の棄却判決
 まず山田案の焦点である「新日中条約の締結」について、もう少し詰めて考えてみたい。北朝鮮による拉致問題の解決と交換条件として提示される戦略の“心臓部”であるだけに、理論面に欠陥があるようであってはならない。
 現在の日中関係は、ハイレベルはともかく国民レベルでは改善するのが非常に難しいというのが現状である。
 今年07年4月には、このような両国関係を象徴する出来事が起こっている。
 温家宝首相が日本を去って間がない27日、日本の最高裁は、強制労働や慰安婦の中国人被害者が日本政府・企業を相手に損害賠償を求めていた訴訟に対して、「個人の請求権は1972年の日中共同声明で放棄された」との判断を示し、原告側請求を棄却したのである。裁判長と裁判官は一致して「同声明5項はすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解される」と結論づけたという。こうして、原告側の敗訴が確定した。
 これに対して、中国外交部の劉建超報道官はこう述べた(以下、翌日「人民網日本語版」からの引用)。
「中国政府が『中日共同声明』で日本国への戦争賠償請求放棄を宣言したのは、両国人民の友好的共存に目を向けた政治的決断だ。われわれは日本の最高裁が中国側の度重なる掛け合いを顧みず、この条項を勝手に解釈したことに対して強い反対を表明する。日本の最高裁が『中日共同声明』に下した解釈は違法であり、無効だ。われわれは日本政府に対し、中国側の懸念に真剣に対応し、適切にこの問題を処理するようすでに要求している」
 この判決に関して、純粋に法理上の問題として論じてみたい。
 1951年のサンフランシスコ平和条約では、個人の請求権も含め、日本と連合国との戦時下の出来事における相互請求権が完全に放棄されている。以下はサ条約の第十四条のb項である。
「(前略)連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」
 つまり、連合国と日本との間で交わされた誓約によると、「連合国及びその国民」は日本に対する請求権を放棄しているのである。
 むろん、1951年当時、中華人民共和国政府は連合国に未加入の状態だった。だが、では71年10月の加入後から今日に至るまで、国連総会その他の機会において、中国がこのサンフランシスコ平和条約に異議ありと訴えたことが一度としてあっただろうか? 
 答えは「無い」。
 しかも、72年の日中共同声明を両国が作成するにあたり、当時の中国共産党政府は、このサ平和条約の戦後処理の方法や概念にとくに異を唱えなかった。
 つまり、以上の点から、中国政府が二重の意味でこのサ条約の第十四条を追認し、踏襲しているという意志表示を国際社会に対して行ったものと見なされるのである。
 よって、日中共同声明の第5項における「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という文言が、サンフランシスコ平和条約の延長線上にあるものであり、また中国政府がそれを容認したものと解釈されるのは、外交上も国際法上も当然のことなのである。
 つまり、法理上、日本の最高裁の判決が上記のような判断を下したのは当たり前のことである。中国外交部は「日本の最高裁が日中共同声明を勝手に解釈した」と非難するが、「勝手な解釈」をしているのは中国政府のほうなのである。
 だいたい、胡錦濤国家主席・温家宝首相自身も、この日中共同声明を筆頭とする過去の日中間の合意文書について、「日本側はこれを遵守せよ」と主張しているのだから、ますますもって日本はこの法理上の原則や正当性を捻じ曲げるわけにはいかなくなる。
 むろん、この法理を踏まえたうえで、さらに人道的・道義的観点から日本政府が戦争被害者に対して別途の補償をすることが望ましいことは言うまでもないが、中国に対して厳しい現在の日本の世論を考えると、現実にそれが実行される可能性は薄い。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

2・過ちの原点としての第5項と危険水域に向かう中国の大衆感情 日本向け2部(2/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

2・過ちの原点としての第5項と危険水域に向かう中国の大衆感情
 これに関して、「日本は無責任だ」と中国人民が怒りを覚えるのは、当然のことである。実際、日本人の中にも依然として咽に魚の小骨が刺さったような違和感を覚えている人々が少なくない。なにしろ中国は日本の大東亜戦争における最大の被害国なのだ。だが、その中国よりもはるかに被害の少なかった国々が5~60年代に日本から多額の賠償を獲得しているのに対して、独り中国だけが請求を放棄した…このような決着の仕方に、今も多くの人々が不可解な印象を受けている。
 今度の最高裁判決は中国民間人の請求権を認めず、上告を棄却したが、他方で旧日本軍による強制や暴行の事実それ自体は認めた。だから、なおのこと「何か納得がいかない、スッキリとしない」という気持ちを人々に抱かせる。
 そして私個人もこのような思いを強く抱いてきた一人である。
 だが、今述べたように、法理的にはこの判決は妥当である。「日中共同声明の第5項をもって中国は民間人の請求権も放棄した」と判断されるのは仕方がない。
 ということは、結局、この問題で日中関係が誤った原因は、72年の日中共同声明そのものにあると言えるのではないか。
 実際、謳われた理念とは裏腹に、同声明は当時の一時的な政治状況にあまりに強く影響されたものであった。
 第一に、当時の中国は未だ台湾と「国際社会における正統性」を争っている段階であった。なにしろ中国の国連復帰が1971年10月25日である。つまり、当時の中華人民共和国政府にとって日本に自国の正統性を認めさせるという課題があまりに大きかったがために、相対的に戦争賠償の問題が矮小化してしまったのである。それが色濃く表れたのが同声明の2・3・5項であった。
 これに関しては、中華民国政府の蒋介石がいち早く日本に対して賠償請求を放棄した事実が影響したとの見方もある。毛沢東には、「蒋介石が日本に対して“度量”を示したのに、共産党が日本に対して狭量さを示せば面子が潰れる」というプライドがあったのかもしれない。だが、蒋介石が日本に対して懐の深さを示せた理由は、かつて日本帝国が50年間支配し開発した「台湾」という巨大な資産をタダで手に入れることができたからであった。しかし、現実に蒋介石が日本に対してそれを放棄したのに毛沢東が実行しなかったとあっては面子に関わるわけで、その点では気の毒だったと評せないこともない。
 第二に、当時の中国はソ連と激しく対立していた。フルシチョフによるスターリン批判以降、中ソ論争が始まるが、60年代に入るとそれが表面化し、次第に非難の応酬に発展していった。中国が原爆開発を急がせたのも、対西側ではなく対ソ戦略であるとも言われている。69年にはダマンスキー島で両軍による大規模な軍事衝突が起こり、両国は全面戦争一歩手前までいった。この時、ソ連は核攻撃まで臭わせたという。
 中国をして、同じようにソ連と対立していた日米との国交樹立に急がせたのは、このような当時の時代背景があったからだ(*)。それが資源確保外交を展開する田中角栄の思惑と見事に凹凸が一致した。
 以上のような当時の事情があって、毛沢東・周恩来は民衆感情を置き去りにし、日本に対する戦争賠償の請求を放棄してまで国交樹立を急ぐ道を選んだ。
 むろん、中国が一方的に犠牲を払ったという見方は間違いである。毛沢東と周恩来にもしたたかな計算はあった。彼らは、日本に恩を売れば台湾とソ連から離反させて中国側に付けさせることができると同時に、温徳を慕った日本人から乞うがままに融資・技術を得ることができるはずだと考えた。そして事実、日本はその通りに考え、行動した。
 おそらく当時の状況を考慮すれば、このように極めて政治的な決断とはいえ、一概にミスとは断定できない。しかし、長期のスパンから大局的に見ればどうであったか。
 このような過去の決着のつけ方をしたがために、中国側は「日本の戦後復興がスムーズにいった理由は中国が賠償請求を放棄したからだ」と恩着せがましく考えるようになり、また日本側も「われわれは中国に借りがある」という二重の贖罪意識に拘束されることになってしまった。なにしろ、侵略したという事実に、賠償責任を免除してもらったという事実が重なったのだ。この両者の心象のギャップが日中関係をアブノーマルにしてきた根本的な原因であったのは間違いない。江沢民に「わが中国は日本に対していくら高圧的姿勢をとっても、また人民の間にいくら対日憎悪を吹き込んでも問題ない」と錯覚させたのも、遠因を辿ればこの第5項に拠るといっても過言ではない。それが結果的にカウンターとして日本人を反中に追いやり、今日の日中両国民の感情的対立に繋がっている。
 だいたい、当時、置き去りにされた民衆の感情は、結局のところどうなったであろうか。中国人の大半は今日、このような政治的な解決の仕方に対してはっきりと不満をもち、毛沢東と周恩来の判断ミスと考えているのである。日本に対して賠償請求を放棄したことは「歴史的な過ちだった」というのが今日の中国での一般的な評価であり、人民感情であるのだ。つまり、当時の指導部の思惑はどうあれ、中国の民衆感情はこれとは別であり、結局のところ彼らの不満を消し去ることはできなかったのである。
 そして現在、この点こそが実は一番の問題であり、わが国がもっとも憂慮すべき点なのである。なぜなら、民衆が権力者にとって永遠に「置き去り」にできる程度の存在であれば問題は表面化しないが、今ではかつてのその常識が通用しなくなってきているからだ。都市部の中産階級が急速に発言力を増し、マスメディアも発達・多様化してきた。つまり、「共産党が思想・言論を完全に統制している」という、かつての中国観が急速に時代遅れになり、日本と同じような多元的言論空間が形成されると同時に、国民世論というものが為政者側にも絶対に無視できない存在に変わりつつあるのだ。
 こういった現象は明らかに民主化の前段階である。そしてこの時期にこそ極端な反動政権が生まれやすいことは、日独伊の事例で歴史的にも証明されている。戦前の日本が本格的な大陸侵略と対欧米戦争に突入したのも1920年代の民主化以降である。この時期に寡頭政治は終結し、大正デモクラシーが始まり、それまでの特権階級に代わって新たに軍部と大衆右翼のコンビネーションが台頭した。日本国内は“民主化”後にむしろ右翼だらけになってしまい、統制が利かなくなってしまったのである。
 中国もこれから似た状況に移行する。私はむしろ共産党の独裁というタガが外れ、民主化の初期に移行した時期のほうが恐ろしいと考える。今、中国では大衆の間で「暴日膺懲」感情と「中華ナチズム世代」が台頭している。日本の中国専門家は共産党指導部の動きにばかり目をやり、この一般大衆の動向を軽視している。だが、私は後者こそがわが国の安全保障にとって重大な脅威と化す可能性を憂慮しているのだ。
 山田案には以上に対する長期戦略も含まれていることを、忘れてもらいたくない。

* ……余談だが、当時の教訓として、わが国が今一度、留意すべき点が2つある。ひとつは中国の為政者が国内対立においても国外のそれにおいても「敵の敵は味方」という原理に驚くほど忠実である事実だ。とすると、昨今の中朝関係の悪化が対北朝鮮における日中同盟の下地ともなりうる可能性が理解できよう。もうひとつは、アメリカの豹変ぶりである。当時ベトナム戦争で苦しんでいたアメリカは、ベトナムに対する影響力行使を期待するのと、ソ連を包囲するのとで、台湾を切り捨てて日本の頭越しに中国を手を結んだ。このシナリオを描いたのがキッシンジャーだが、この人物がまたしてもブッシュ大統領の対北路線転換の背後で蠢いていることがシーガルの「拉致敗戦」(中央公論07年8月号)でも語られている。「日本人は信用できない」とか「日本は裏切り者」などと陰口を叩いていることからも分かるように、国益のためにアメリカ外交を豹変させ、日本にツケを回すことに躊躇しないのがキッシンジャーである。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

3・新日中条約は日中関係を“正常化”させる 日本向け2部(3/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

3・新日中条約は日中関係を“正常化”させる
 以上のような結果を見ると、われわれにとって日中共同声明第5項とは、結局、マイナスにマイナスを付け足してしまったものに他ならないと言えよう。
 では結局、われわれはどうすればよいのだろうか? 
 日中が国交を樹立する際に交わした文書に欠陥が含まれているのならば、それを修正した新たな文書をつくり、締結すればいいのである。
 つまり、過去の日中共同声明等を発展解消し、とくに第5項を完全に改めた「21世紀の新日中共同声明」ないしは「新日中条約」を締結するのだ。
 すなわち、1972年に締結された「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)および、これを踏まえたうえで1978年に締結された「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」(日中平和条約)の大部分の内容とその精神を継承しつつも、一方で「今日の時代にそぐわず、また日中の真の友好の観点からも望ましくない」と判断される部分を削除・改善した「新たな共同声明また条約」を、両国の英知を結集して考案し、これを日中両国の人民が共に納得する形で締結することである。
 そして、その主要な改善点こそ、問題の第5項を無くし、「日本はODA3兆円の債権放棄をもって中国および中国人民に対して過去の戦争賠償を実施するものとする」という新たな条項を追加することである。
 これは、改めてマイナスをプラスで埋め合わせることで、両国関係をいったん「ゼロ=貸し借りなし」の状態にリセットする策略である。
 いわば日中関係の“正常化”だ。
 この点に関しては、私は中国人こそ柔軟であり日本人こそ頑迷であると考える。過去の条約の発展解消にあたり、大きな壁となるのは、やはり国家間の条約という単なる便宜上のものを普遍的なものと錯覚してしまう日本人の硬直性ではないか。日本人の性格的な欠点として、過去にいったん決定した規定路線・方針に、精神的に強く束縛される傾向がある。そしてそれが明確に破綻するまで自動機械のごとく踏襲しつづける性向がある。
 だが、われわれは「そもそも条約とは何のためにあるのか」と、その根源的意味を考えるべきである。国民レベルで本当に納得できないような条約ならば存在する意味がない。
 今や日中両国民は、ハイレベルだけで踊る、従来の欺瞞的な「日中友好」という言葉にうんざりし始めている。われわれは未来の世代のためにも日中間に打ち込まれた棘を抜き取り、両国間の真の友好を実現すべきではないか。私はそのためには日中共同声明第5項を修正した「新日中条約」を締結する以外にないと考える。
 こうして、先の大戦に対する国家賠償と個人補償を明記してこそ、中国人民も真に納得することができ、また日本人も自身を道徳的に救うことができるのである。それに中国が巨大なメリットを享受するだけでなく、日本にとっても大きな戦略的メリットがある。
 くり返すが、各国はこぞって日本の道徳的勇気を絶賛するだろう。その国際社会における道徳的立場の強化という成果が、国連安保理の常任理事国加入やその他の日本外交にとってどれだけ有利に働くことか、想像するまでもない。
 また、対中安全保障に対してどのような役割を担うかは、説明するまでもない。
 さらに、日本国内で相次いでいる、中国人個人や市民団体による日本政府および企業を対象とした過去の戦争犯罪に絡む訴訟を未来永劫にわたって防止することができる。これは前述のように、ある個別の訴訟において「棄却」という最高裁の判決が下され、現状ではその法理を乗り越えることができない。だが、「新日中条約」を締結することで、今後、彼らが何らかの形で戦争犯罪に対する補償を求める場合、すべては日本の債権放棄を享受した中国政府が責任をもって対処しなければならないという形になる。つまり、中国当局自らが補償の受け付け窓口にあたり、被害額の算定から実際の補償金支給まで実務に当たらなくてはならないということである。
 これにより日本政府と企業が無制限な訴訟から解放されるのみならず、被害者たちもまた従来のいつ終わるとも知れない、また勝つか負けるかも分からない裁判闘争とその精神的苦痛から解放されることになる。この方法は、すでに高齢化しつつある被害者たちにより素早く補償を行うという観点からしても、遅々とした日本の行政手続きよりも優れており、人道的であると言える。
 そしてこのことは、われわれにとっても心理的な救いになるであろう。われわれは中国人の戦争被害者たちが日本で訴訟を起こすたびに感じてきた後ろめたい気持ちから自らとその子々孫々を解放し、救うことができるのである。日本の次世代を道徳的に救い、彼らが負い目を感じることのない日中環境を整えるという意味でも、この策を実行することには大いなる意義とメリットがあるのではないだろうか。
 このように「新日中条約の締結」は、日中両国およびその国民にとって大きな利益があるのである。
 さらに私としては、これを機に関連する他の問題も片付けてしまいたい。たとえば、海外での反日市民運動を止めさせるべきだ。どうせ策源地は北京である。また、遺棄化学兵器の問題も終わらせるべきではないか。解決済みとしてもう処理費用は出さないか、あるいは化学処理などという時間的・費用的に手間のかかることは止め、まとめて日本海溝にでも海洋投棄すればいい。生態系への影響云々を言及するのであれば、中国が垂れ流している大量の汚水のほうがはるかに深刻ではないか。また、新日中条約の締結時には、胡錦濤国家主席にぜひとも「日本は全アジアに対する過去をすべて清算した。今後、日本に対するいかなる国のいかなる過去の清算要求も、中国はこれを支持しない」と宣言させることが必要だ。これは言うまでもなく、過去の清算問題とやらで対日誣告すら厭わない南北朝鮮をアジアで孤立させるためである。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

4・従来の対北戦術は錯誤に依拠しているのではないか 日本向け2部(4/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

4・従来の対北戦術は錯誤に依拠しているのではないか
 さて、以下からは、山田案と比較する意味でも、従来の解決策や対北方針、またその根底にある考え方がどのようなものであり、またどのような成果をもたらしてきたかを詳細に検証していきたい。
 金正日政権は終身制であるため、国内に対して責任がなく、政治的な得点を挙げなければならないというプレッシャーもない。しかも専制者個人の意志で動く専制国家のため、国内は常に一枚岩であり、対外方針にもブレがない。つまり、より長期の観点から一貫した対日戦略を取り続けることが可能である。一方、世論の動向、選挙、内閣支持率、党内外の異論といった要素に常に振り回されているわが方は、彼らほど腰を落ち着けて事に当たることもできなければ、一枚岩にもなれない。
 よって日朝外交戦は、初めから北朝鮮のほうが有利な条件にある。金正日が常に自らが譲歩しなくてよい戦術、すなわち「日朝交渉に対北融和派の政治家が復帰するのを待つ」という策にプライオリティを置くのも当然といえよう。事実、02年の「9・17」以降、北朝鮮は「あくまで日本側が妥協してくるのをじっくりと待ち、日本国内の政治的意志がその方向へむかうよう内外から影響力を行使する」という対日方針で一貫している。
 むろん、体制が崩壊するほど経済的に追い詰められていれば話は別だが、現状はまだその水準に至っていないと見なすのが妥当だ。われわれがいつも見誤ってきたのは、実はこの点ではないか。われわれは常に「北朝鮮は経済的に苦しいため、咽から手が出るほど日本の経済支援が欲しいはずだ」と予想し、「拉致問題などの諸懸案を解決すれば国交正常化して莫大な経済援助をしようではないか」と粘り強く訴え続けることが有効な解決策であると信じてきた。つまり、結局は相手が折れるはずだ、という目算だ。
 だが、このような一貫した日本の主張に対して、北朝鮮の反応もまた驚くほど一貫している。すなわち「拉致問題は解決済みであり、何が何でも過去の清算を早くしろ」である。ここまで両者の主張が平行線をたどる現実を見ると、従来の北朝鮮観に何か根本的な錯誤があると考えたほうが理にかなっている。つまり、われわれは自分たちの希望的観測や願望を無意識のうちに投影させた「脳内北朝鮮」という虚像と向き合ってきたのではないだろうか。現実に存在する北朝鮮は、われわれが想像するほど困窮してもいなければ、追い詰められてもいない可能性を考えるべきだ。
 日本人がしばしば犯しがちな過ちは、自分の常識をそのまま相手に当てはめることである。不作や水害で民衆の生活が困窮して大変だ、かわいそうだと同情し、これはきっと体制を揺るがすに違いないと思うのは日本人の感覚であって、彼らの感覚ではない。そもそも金正日政権にとって体制の支持基盤である軍将校などの一部特権階級の生活さえ守られればよいのであって、一般国民などはいくら餓死しても構わないのではないか。
 実際、北朝鮮には「わが国は日本の経済支援がなくともやっていける」という確信があるのではないだろうか。また、激しい口調の日本非難とは裏腹に、本音では「日本の経済制裁はたいして効いてない」とタカをくくっている可能性も考えてみるべきだ。私がそう思うのは以下のような根拠があるからだ。
 詳細は後述するが、わが国の対北経済制裁は軍事学でいう一種の“累積戦略”である。累積戦略とは、端的にいえば北朝鮮の経済的困窮がある一定の限界を超えると体制変革や崩壊に繋がっていくとの予想に基づいて遂行される地道な経済攻勢の積み重ねである。これが実に穴だらけとしか思えないのだ。日本がいくら経済制裁を実行したところで、韓国と中国が北朝鮮と普通に貿易を行っており、しかも中朝国境の物流は年々拡大さえしている。また、金正日政権をダイレクトに支え続けてきたのが日本国内で日々莫大な日銭を稼ぐパチンコ資金であることは有名だが、ある種のタブーのせいで、政府当局はこの根幹にメスを入れることができない。それにアメリカの対北戦略の転換が重なり、北朝鮮は今後、表面上の非核化作業と引き換えに体制保障とエネルギー支援などをえる。この国際合意はまた韓国のノ・ムヒョン政権が北朝鮮の体制を支え続けるための絶好の口実ともなっている。北朝鮮を「篭城する誘拐犯」に例えれば、せっせと差し入れしている身内のようなものではないか。この先、米朝の国交が正常化すれば両国間の経済交流すら始まることが予想され、ウラン資源などをめぐる投資も活発化するだろう。
 以上の点から、わが国の対北経済制裁はわれわれが信じたがるほどの効果はないし、よって「経済的に困窮した北朝鮮のほうから歩み寄ってくるのを待つ」という過去一貫した対北戦術の有効性にも疑問を持たざるをえないのである。
 残念ながら、これまでわが国は「脳内北朝鮮」という虚像とシャドウ・ボクシングをしてきたのではないか。相手の弱点を間違えてきたという苦い現実を受け入れる時がきたようだ。戦う相手に対する固定観念や先入観は有害でしかなく、われわれに不可欠なことはまず一切の情緒や精神主義を排し、ひたすら冷酷な機械の眼で相手を中立かつ客観的に観察するという社会科学的な姿勢である。このようにして集めたニュートラルな情報や分析から真に相手の弱点も浮かび上がり、そこを突くことで戦いにも勝つことができる。むろん、そう言う私なりに、その弱点を以下に詳述していくつもりだ。
 歴史の潮流として北朝鮮の体制崩壊はいつか必ず起こるに違いない。十数年後にはこの国家が消滅していることは確かだ。これは予定調和であり、避けようがない時間の問題である。ゆえに北朝鮮のレジーム・チェンジに伴い、拉致問題もいつかは自動的に解決するという見方も大変誘惑的だ。だが、問題はそれがいつ起こるか分からない点にある。来年かもしれないし、5年後かもしれない。今分かっているのは、当面のカンフル剤をえたその体制がしばらく延命するらしいという苦い現実である。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

5・アメリカの対北政策の真の目的を考える 日本向け2部(5/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

5・アメリカの対北政策の真の目的を考える
 しかも、私の考えでは、日本は北朝鮮観を誤っていただけでなく、アメリカの対北政策の本音をも見誤っていた可能性がある。以下は仮説を多く含む。
 07年10月の6カ国協議では北朝鮮の非核化について合意をみたが、明らかに国際社会を欺ける余地を残している。すでに廃施設同然とも言われる寧辺の核3施設を無能力化し、第2段階措置として年内の“すべての核計画の完全かつ正確な申告”を北朝鮮に義務付けているが、ウラン濃縮施設と既存の核兵器の扱いについては曖昧なままだ。
 実に不可解である。もともとウラン濃縮計画の発覚が94年の米朝枠組み合意崩壊の発端であるのに、現在、アメリカはその核開発疑惑の本命にはあまり触れたがらず、追及に消極的な姿勢を見せているのだ。
 仮にアメリカが本心から北朝鮮のプルトニウム保有とウラン濃縮計画を容認していないとする。その場合、プルトニウムについては、原子炉から放出される特定元素という物的証拠があるので、北朝鮮としても保有それ自体をごまかすことはできない。だが、保有量は推定でしかないため、個数自体はごまかすことが可能だ。ウラン濃縮施設についても同様、黙秘を通すか、あるいはごまかし切れないと悟るやほんの一施設を差し出してみせるのではないか。なにしろ、検証不可能なのだ。「相手の申告を信じるしかない」という状況では、いくらでもごまかしが可能である。おそらく、実際には複数のウラン濃縮施設がモグラの巣のように縦横に掘られた地下施設の各所に点在しているに違いない。
 つまり、北朝鮮は、数個の核兵器とその真の開発施設を隠蔽し、事実上の核保有国であり続けたまま、非核化2段階措置を“完了”し、最終的に北朝鮮をテロ支援国リストから外したアメリカとの国交正常化を成し遂げるとも考えられるのだ。
 また、ブッシュ政権にしても任期内に外交的成果を残すのが目的なので、内心では「申告して差し出したプルトニウムやウラン濃縮施設以外にも、北朝鮮はまだ何となく隠し持っていそうだ」と疑っていても、政治的に妥協してしまうに違いない。
 一方で、仮にアメリカが本音の部分ではそれを容認しているとしよう。実際、追及に消極的な姿勢を見る限り、この想定のほうが真実に即しているという気がしてならない。
 この場合、アメリカの意図が喧伝されている“非核化”とは別のところにあるからだと考えなければ、合理的な説明がつかない。6カ国協議自体、名目は朝鮮半島の非核化であるが、裏目的は「日本のカウンター核武装の阻止」と「天然資源の確保」であると囁かれているから、その場合、一つにはウランの確保が関係しているとみるのが妥当だろう。
 これに関しては戦前から日本帝国が調査し、ソ連の原爆開発の材料にもなった経緯があり、埋蔵量は400万tとも推定されている。そもそもブッシュ政権が当初から「悪の枢軸」との対決姿勢を明らかにした理由は、ピークオイルを見越したエネルギー資源の確保戦略とドル防衛戦略があり、「民主化云々」はその真意を糊塗するためだった疑いがある。そうすると、ネオコンと国務省の対北政策は正反対に見えて、その実、目的は最初からまったく同じであり、単にその手段――つまり強硬策と穏健策――をめぐって対立が生じていただけとも考えられる。要は、独裁政権を打倒してウラン資源を手に入れるか、それとも取り込むことで資源へのアクセスを容易にするか、という違いである。
 そしてその資源争奪上のライバルが中国であることを考えると、アメリカの不可解な行動の理由がいっそう鮮明になってくる。アメリカは昨今の中朝関係悪化につけこみ、かつて対ソ戦略として毛沢東の中国と国交樹立したように、今度は対中戦略として北朝鮮と国交樹立しようとしているのではないか。はっきり言えば、アメリカが北朝鮮を「対中国における駒」に仕立て上げるつもりではないか。いわば“逆キューバ危機作戦”である。こう考えると、アメリカの“甘い”態度にも十分な説明がつくだろう。
 つまり、アメリカの対北政策の本音は次のようなものではないか。
 第一に、将来のエネルギー源としてのウラン資源を確保すること。第二に、国交正常化を機に中朝を分断し、できれば対中国の尖兵に仕立て上げること。そして第三に、アメリカの安全保障にとってのみ有効な“非核化”措置を行うこと。
 第三の意味するところは「核不拡散」である。要はイスラム諸国やテロリストに核物質とその技術を譲り渡さなければよいということであり、逆に言えばそれ以外――核爆弾と中距離弾道ミサイルの保有――は大目に見るということだ。ちなみに、これに日本人拉致問題を併せると、わが国が対北政策の主軸に置いてきた「拉致・核・ミサイル」の問題になる。今やアメリカが拉致問題も切り捨てにかかっている現実を考慮すると、彼らは日本の安全保障に直結するすべての問題に対して関心がなく、どうでもよいのが本音なのだ。
 よって、わが国の対北政策とアメリカのそれとは、まったく反りが合っていないと結論せざるをえないのである。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

6・日朝の「対話」はもう成立しない 日本向け2部(6/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

6・日朝の「対話」はもう成立しない
 北朝鮮のような専制国家相手に外交交渉を行う場合、その専制者個人の意志と人格を読む能力が要求される。07年10月現在の金正日は今、何を考えているのだろうか。私の予想では、金正日は己の対日方針にますます自信を深めている最中のはずだ。
 アメリカの真の目的がいずれにせよ、金正日の立場からすれば、瀬戸際外交を続ける過程で、イラクに次いで北朝鮮を空爆するつもりだったネオコンが後退し、国務省勢力が復帰してアメリカが対北宥和政策に転じたと映っている。
 金正日は「自分は賭けに勝った」とさぞかし狂喜したはずだ。
 対日本においては、拉致問題強硬派の安倍前総理の自民党が参院選で大敗し、安倍氏自身も辞任した。その間、猛烈に展開された「安倍降ろし」のネガティブ・キャンペーンの中にも北朝鮮が日本国内に有する影響力をフルに行使した結果が含まれていないとは、誰が言い切れるだろうか。
 このように金正日は日米両大国を出し抜いてみせた。彼は国内の権力中枢の取り巻きに対して「男を上げ」てみせ、権力基盤をさらに磐石のものした。よってその金正日が己の対日方針にますます自信を深めたであろうことは想像に難くない。
 このようなタフな人間を相手としていることを、われわれは今一度自覚しなければならない。彼は今こう確信しているのだ。「焦った日本が妥協してくるに違いない」と。独裁者をかくも増長させてしまったのは、日本の一部政治家が見返りも得られずに核とミサイルの開発資金の提供者である朝銀に1兆数千億円も公的資金を投入したり、1200億円ものコメ支援を与えたりして甘やかしてきた負の遺産といわざるを得ない。その結果として、わが国はいま独裁者の増長と政権の延命という形でツケを支払わされているのだ。
 仮に「対話重視」の福田総理が「国交正常化を優先するのが政治家としての私の使命である」などと考えているとしたら、まさに相手の思う壺である。北朝鮮は水面下で「あと数名だけ拉致被害者を返そう、これで『諸懸案は解決した』ということで正真正銘の終わりにしてほしい、そして国交正常化を行い経済援助をしてほしい」と打診してくるだろう。あるいはその際、すったもんだの交渉の末、政府認定残る12名の返還というレベルまで持っていくことができるかもしれない。そうなれば日本側にも「これでうまくいった、もうこの問題は終わった」などと喜ぶ者すらいるのではないか。
 なにしろ官邸は、日々「拉致問題に関して何らかの結果を出さねばならない」とか「日朝交渉を進展させねばならない」とか「北朝鮮の核問題に対して足並みをそろえている国際社会から孤立すべきではない」といったプレッシャーを受けている。金正日の狙いは、このような政治的苦境にある日本のほうが折れて妥協に応じることである。
 だが、仮にこの“悪魔の囁き”に屈したら、福田総理の政治生命が絶たれるとか与党が次の総選挙で野党に転落するとか、そういうレベルの話ではなくなるだろう。国家たるものが悪に屈した国恥の例として、それは子々孫々を恥じ入らせ、日本の歴史に重大な汚点を刻むことになる。関係者は後世の史家から言葉で切り刻まれるだろう。
 この拉致問題に関しては、すでに国民サイドのほうが正しい視点を獲得している。「拉致された日本人の生存者が全員帰ってこないかぎり国交を結ぶなどありえない」とする点で世論はほぼ一枚岩である。むろん、それは政府認定残る12名のことを指しているのではなく、文字通り「すべて」である。国民は百名以上が拉致されていると疑っている。
 そもそも国民は北朝鮮との国交正常化など望んでいない。北朝鮮は拉致問題に続き、ミサイルの発射と核実験まで強行した。「こんなゴロツキ国家とわざわざ国交を結んで経済援助などしてやる必要はない」というのが国民の大多数の本音である。仮に「北朝鮮と国交を樹立したいと思うか? また、する必要はあるか?」というアンケートをやれば、そのような民意が必ずや圧倒的多数で反映されるであろう。「国交正常化してもよい」と答えるには、最低でも「拉致問題が『完全解決』した場合においてのみ」とか「金正日体制が崩壊した場合においてのみ」という必須条件が付くに違いない。
 もしかして福田新総理はこのような民意を読み違えてはいないだろうか。もし、小泉氏の真似をして“電撃訪朝”し、「拉致被害者数名の返還・よど号犯人の引渡し」程度で「拉致問題は解決した」として幕引きし、国交正常化を約束した場合、福田総理の政治生命は一発で止めを刺されるだろう。いや、自民党そのものが吹っ飛ぶ可能性がある。政治家に対するテロ・暗殺が横行するといった暗黒の時代が再来するかもしれない。
 つまり、3度目の日朝首脳会談のシナリオは、拉致被害者の全員返還がかなう場合においてのみ政治的な得点となるのであり、それ以外の結果は逆にマイナスに作用すると覚悟したほうがいい。国民の北朝鮮に対する見方はそこまで厳しくなり、拉致問題解決に対する要求水準も高くなったのだ。小泉元総理の頃は数名の返還だけでも「よくやった」とそれなりに評価する声があったが、3度目にはその常識も通用しないだろう。むしろ日本の総理大臣たる者が連続して3度も訪朝させられたうえ、小バカにされる結果を掴まされてきたとして、非難の声のほうが大きいと思われる。ましてやそれで国交正常化を約束したとあっては、国内にどんな暴発が起きるかも予想できない。
 むろん、己に対する自信を深めつつある金正日は、このような日本の国民感情とはまったく逆に、拉致問題に関してはあくまで日本側が譲歩すべきだとの考えをますます強めており、その欲求が実現するまで気長に「待つ」戦略でいると思われる。参院選に敗北した途端、安倍前政権が「過去の清算」を言い出し、また福田新総理が「対話」を強調したことも、相手を増長させる誤ったメッセージになったと思われ、逆効果だった。つまり、金正日に従来の対日方針の正しさを確信させてしまったに違いない。彼らは日本国内に巨大な情報網を張り巡らせ、政界にも浸透しているため、日本の出方を逐一よむことも可能であり、現在、それを通して己の方針に自信を深めつつあるのは間違いない。
 以上のように、両者の心理的な隔たりは以前にも増して大きくなったというのが、現状に対する私の認識である。そしてこのような乖離は、もはやいかなる対話によっても埋めようがなく、よって以後の交渉は(儀式としての意味はあっても本質的には)すべて無意味であるというのが私の主観的見方である。もし両者の間で成立するものがあるとすれば、それは「対話」ではなく「日本側の妥協」だけであろう。
 つまり、もう日朝二国間で拉致問題を真に解決することは永久に不可能なのだ。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

7・原点から間違えている日朝交渉 日本向け2部(7/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

7・原点から間違えている日朝交渉
 もともとの日本政府の対北姿勢は「日朝友好・国交正常化優先」であった。これはクーデターを使嗾して金正日政権を処断するなどという発想とは、まさに対極である。
 私はこれに強い疑問を持ってきた。そもそも日本は北朝鮮と国交を樹立する必要があるのだろうか。あるいは樹立しなければならない理由があるのだろうか。
 日朝交渉の内容と経緯を見る限り、現在でも日本の政治家と官僚が「根源的錯覚」に囚われていることは明白である。その錯覚の最たるものが「日朝間の不幸な歴史を清算しなければならない」という発想、というかただの思い込み、または強迫観念である。
 この「不幸な過去を清算」なる文言は、02年の日朝平壌宣言から今日に至るすべての日朝交渉の舞台に登場する。これが何を意味するかは、同宣言にある「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」という一節を読めば明らかである。つまり、われわれ日本人が朝鮮人に対して損害と苦痛を与えた過去を反省し、それを贖罪・清算しなければならない、というわけである。
 拉致問題に関して強硬派であった安倍前総理でさえ、参院選に負けた途端、「日朝の不幸な過去を清算をし、日朝国交正常化を図る」と発言しており、日本側が当初から「朝鮮の人々に贖罪しなければならない」という概念に強く拘束されていることがよく分かる。
 実は、この発想自体が根本的におかしいのである。私が対北政策をゼロベースで見直すべきだと考える理由はここにある。
 われわれはまず自分たちが信じて疑わないこのような固定観念を疑うことから始めるべきである。日韓併合前から現在に至る過程を科学的な史実に基づいて詳細に論じるとあまりにも膨大な量になり、かつ本稿の趣旨とも外れてしまうので、ここはあえてまとめるしかないが、結論から言うと日本が朝鮮と朝鮮人に対して「多大の損害と苦痛を与えた」というような事実はほとんどない。むろん彼らはそう主張するが、それは極めて意図的な嘘であり、あるいは半世紀に渡る自己洗脳の結果としての嘘の既成事実化なのである。
 そういう意味で、わが国は対北政策だけでなく、対韓国も含めて見直すべきなのだ。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

8・真実の過去――李朝から終戦まで 日本向け2部(8/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

8・真実の過去――李朝から終戦まで
 朝鮮民族の“苦痛”というのは、むしろ日本が併合する以前の朝鮮の状態を正確に言い表している。朝鮮では20世紀の初めまで中世の暗黒時代が続いており、一説によると同時代の日本よりも千年ほど文明が遅れていたとも言われている。
 当時、朝鮮を訪れた西洋人と日本人が膨大な一次史料を残している。それらに目を通せば李朝が「この世の地獄」であったことは明白である。王族と貴族が下層民を極端に搾取し、食糧や物資も極端に不足し、貨幣の流通すら見られないほど商品経済も未発達の原始社会であった。首都ソウルでさえ、二階建ての家屋がないと言われるほど、街は無秩序で藁葺きのボロ小屋の集落であった。また、全土にわたって道路や橋梁・治水などのインフラも未整備で、農業生産性が低く、山は禿山ばかりで、飢餓が慢性化し、当然、国民生活も破綻していた。街には上下水道は無く、非衛生的な状態のため疫病が蔓延するが、朝鮮人たちはその治療を迷信や呪術に頼り、近代的な医療設備がないためにバタバタと患者が死んでいく有様だった。当時の国民の大部分は文盲であり、4割は売買される家畜同様の奴婢(奴隷)であり、法治もなく、役人による残虐な拷問が日常化していた。
 問題は、南北朝鮮人がこのような日帝以前の朝鮮社会の実情をまるで知らないことである。韓国でいえば、国史編纂委員会という国家機関が意図的に真実を隠蔽し、政治的な国定歴史教科書を定めて、徹底的に歴史を書き換えてきた。そのせいで韓国人は李朝が清の属国であった事実すら知らず、朝鮮が初めから独立国家であったように錯覚しているのである。李朝の最初の国旗も「大清国属高麗国旗」であり、対米交渉の際にも自分たちは属国であると明言した事実などは徹底的に隠蔽されているのだ。
 韓国人は、ソウル郊外にある「独立門」が実際には清からの独立を祝したものであることや、そこにはかつて「迎恩門」があり、国王自らが清の役人を出迎え、三跪九叩頭していた史実も知らない。当初、日本はそんな朝鮮を大陸とのバッファーとするため、近代化と独立を支援したが、それを推進した金玉均らの独立党員は甲申政変で弾圧されてしまう。ちなみに、この際、三親等まで残虐に殺害した朝鮮王朝のやり方を見て、福沢諭吉は朝鮮を「妖魔悪鬼の地獄国」と糾弾し、「脱亜論」を発表する。朝鮮がようやく独立を果たせたのも、日清戦争後の下関条約第一条によってである。だが、独立意欲が端から無い朝鮮王室は、国土とその利権を次々と西洋に切り売りし始め、朝鮮半島の領有を目論んでいたロシアを呼び込む真似までする。何のことはない、当時の朝鮮人は自分で自分の国を外国に売り飛ばしていたのである。結局、このように朝鮮民族が自分たちで近代的な独立国家を運営しようという気概に欠けていたせいで最大の迷惑を被ったのは、その結果として日露戦争を強いられてしまった日本である。
 以上のような事実を、韓国人はまったく知らない。「それなりに豊かで、平和で、劣等な日本に文化を伝えてきた“文化先進国”であった李朝が、西洋の猿真似でいち早く近代化した日本の侵略によって突如として独立を奪われた。植民地支配によって徹底的に収奪された朝鮮人民は塗炭の苦しみに喘いだ」などと、公教育で教えられている。
 日露戦争後は、日本を新たな宗主国と考える朝鮮人が急増し、当時朝鮮最大の政治団体であった一進会などが合併を主張した。公的な二国間関係においても最初に合邦を打診したのは朝鮮側――総理大臣の李完用側だ。これは彼らが「親日売国奴」であったからではなく、西洋列強が植民地争奪戦を繰り広げる当時の弱肉強食の国際情勢を見据えた結果の判断である。こうして1910年の日韓併合に至った。むろん、当時の日本に帝国主義的な野心がなく、あくまで善意だったと主張するつもりは毛頭ない。だが、李朝側から併合の申し出があり、かつ正式な手続きを踏んで国際社会にも容認されたという事実は重要である。ただし大半の韓国人はこの事実を知らない。
 当時の記録によると、この際も民衆が暴動を起こすなどの騒ぎもなく、街は極めて平穏であった。もし今日の韓国人が言うように「侵略」であるとするなら、なぜ併合時に何の反対運動もなかったのだろうか。もとより当時の朝鮮は主権在民ではなく、朝鮮王室から日帝に主権が引き渡された形であり、一般市民の民族意識自体が併合期間中に次第に醸成されていったというのが定説である。民族という用語・概念自体がこの頃の日本の受け売りである。
 併合後、日本は朝鮮を内地として扱い、中世の暗黒時代から一気に内地水準の近代的地域に引き上げようとした。それは凄まじく壮大な国土開発事業だった。近代化に欠かせない土地の調査事業を行い、道路・橋梁・鉄道・港湾・上下水道・ダム・電力設備などのインフラを整備し、植林事業や農村振興を行い、初等教育や病院を普及させ、伝染病と飢餓を根絶した。殖産興業の進展により朝鮮の民族資本までもが成長した。それはまさに一から国を作るようなものであったに違いない。1919年に百万人規模とも言われる大規模な暴動(三一運動・後述)があったとはいえ、重要なことは当時の朝鮮人自身が総督府の推し進める近代化事業に感謝し、基本的に協力的だったという事実である。朝鮮はこの結果として、デパート(それも現地民族資本)にぜいたく品を買い求める中産階級の消費者層が誕生するまでに発展した。
 ところが、韓国の歴史教育はこれを収奪一辺倒として描き、土地調査事業は朝鮮人から土地を奪うためであり、日帝は米を略奪して民衆を飢えさせたと主張する。しかし、嘘をつき過ぎると容易にボロが出るもので、韓国の歴史教科書はそのような“米の収奪”を書きたてた直後、「民族資本が成長した」とも記述している。つまり、米の輸出による資本の蓄積を「収奪」に書き換えているのである。彼らは李朝時代に貨幣経済すら未発達であった事実を無視し、「日韓併合により自主的近代化の機会を奪われた」と主張する。ひどい事例になると、「日帝は木を切り倒して朝鮮の山々を禿山にした」などと事実を逆さまに主張する。こういった客観的事実に反する主張は極めて悪質という他ない。
 むろん、私も日本が善意に満ちたボランティアだったとは思わない。韓国人が「日帝が朝鮮に投資したのは民衆のためではなく、あくまで帝国の利己的利益のためであった」と主張するのも一理ある。だが、一方で急速な近代化の最大の受益者が、悪弊と貧困に満ちたかつての李朝社会から解放された一般の朝鮮民衆であることもまた否定できない歴史の事実ではないだろうか。大事なことは、過去日本が朝鮮に対して行った支配行為をバランスシートとしてプラス面とマイナス面に分け、客観的に評価することである。これはすでに台湾の歴史教科書が実行しており、韓国人も学ぶべきである。またこの場合、その時代にはその時代なりの常識があり、今日的価値観から見れば否定的として映ることであっても、当時としては是であったという「時代性」も考慮しなくてはならない。
 たとえば今日、韓国は「日本は皇民化教育や神社参拝強制などを通して民族文化の抹殺を行った」と主張する。たしかに朝鮮の完全な内地化のために行ったこのような「同化政策」は、今の日本人から見ても非難されてしかるべき行為として映る。だが、当時の大多数の朝鮮人がそのことを本当に「苦痛」として感じていたのだろうか。そのことを証明する客観的証拠よりも、むしろ嬉々として自ら進んで日本人になろうとしていた証拠のほうが多い。韓国人は現代ですら平気で国籍を捨て、民族名を捨てている。
 これは戦時中にも言えることである。当時、物資と労働力の供出を義務付けられた朝鮮人が苦痛を受けていたかといえば、たしかにそうだろう。だが、日本国民もまた同じ扱いを受けていたというか、それ以下だった。兵齢期の日本人は無理やり徴兵され、戦場に駆り出されていたのである。戦争中の悪しき行為としてよく挙げられるものに、朝鮮人の動員(強制連行に値する徴用は実際は数百名程度と言われる)とその過酷な労働があるが、それが適切か否かはともかく賃金の支払いや食糧の配給は行われていた。朝鮮で行われた一部の労務者狩りも、実際は総督府の意とは異なり、末端の朝鮮人官吏が行った仕業であるというのが真相らしい。こういった末端の暴力をコントロールし切れなかった点は反省すべきだが、同時に朝鮮人の小役人が封建時代さながらのやり方で同じ朝鮮人に対して振るった暴力という点も忘れられるべきではない。比較論でいえば当時の朝鮮人は日本人よりもはるかに優遇されており、損害もはるかに軽微だったことは明らかだ。そういう意味で「差別」されていたのは日本人のほうではないだろうか。
 日本はアジア太平洋戦争によって350万人もの死者を出し、国土が灰燼に帰した。だが、朝鮮はどうだったか。国土はほとんどが無傷であり、朝鮮人の犠牲者も志願兵と軍属併せわずか数万人程度に留まった。日本人の100分の1である。そして彼らは戦争中には日本軍が勝利するたびに喜び勇み、別に独立する意志もなかったが、戦後、連合国によって日本の力を弱める分断策として強制的に独立させられたのだ。
 そしてその当時、独立したばかりの朝鮮は、台湾と並んでアジアでもっとも近代的設備や制度が整った裕福な国家だったのである。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

9・真実の過去――南北朝鮮の戦後史 日本向け2部(9/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

9・真実の過去――南北朝鮮の戦後史
 戦後、朝鮮半島はアメリカとソ連によって分断された。北朝鮮と韓国の指導者に就いたのはどちらも民主的に選ばれたのではない独裁者である。その政権の正統性が日本の植民地支配に抵抗したという点に置かれたため、彼らが自らの政治基盤を強化するために戦前の日本の支配をどのように位置付け、公教育やマスメディアでどのように描き出さねばならなかったかは想像に難くない。民衆の中にも政治的な風向きが変わったことを敏感に察知して、さも以前から日本の支配に反対していたかのような吹聴をする“にわか独立闘士”が急増したが、それでも基本的にこの時点では為政者はともかく大半の民衆は “反日”ではなかったと言われている。
 戦時中、朝鮮人の日本軍への志願率が異常な倍率であったことや、東南アジアの日本軍捕虜収容所が実質朝鮮人部隊であり、彼らが連合軍捕虜を虐待したためにBC級戦犯として百名以上が処刑されたことはよく知られている。このように朝鮮民族は一歩間違えれば日本帝国の共犯者として国際社会から裁かれかねない切実な状況に立たされていた。そこで独裁者・李承晩が選んだ道は、大嘘をついて被害者に成りすまし、戦勝国を僭称することだった。サンフランシスコ講和会議の際、韓国はなんと「戦前、臨時政府が対日宣戦布告し、中国軍の中に朝鮮人部隊もあった」として戦勝国に潜り込もうとした。だが、むろん臨時政府なるものが連合国に承認されたこともなく、その宣戦布告文とやらが届いたこともないので、各国から一蹴された。ところが当の連合諸国から否定されたにもかかわらず、現在の韓国の歴史教科書にはこの嘘が堂々、明記されている。このような虚偽が今も都合よく信じ続けられているのは、敗戦国として物質的・精神的不利益を被るのは耐えられないと感じる韓国人一般のニーズとよほど合致していたためだろう。
 李承晩という男は非常に悪質であった。彼はまた日本の領土である竹島を侵略し、日本人漁民を虐殺・誘拐し、彼らを人質として日本に収監されている朝鮮人犯罪者の釈放を要求した。今日、韓国人が竹島に関して主張することは、ほとんどデタラメである。このような卑怯なやり方を見ると、南も北も本質的に大差はないことが分かる。
 李承晩の時代はまた韓国で大規模な虐殺事件が相次いだ時代でもあった。46年の大邱事件では300人もの民衆が殺害され、48年の済州島事件でははっきりしないが5万人前後の民衆が殺害されたと思われる。これらはアメリカ軍政下であるとしても、朝鮮戦争時代には李承晩政権自らが左派分子と疑った民衆を大量虐殺している。国民保導連盟事件と国民防衛軍事件では、無抵抗の百万人以上の韓国人が虐殺や意図的な飢餓などで殺害されたと言われている。この他にも各所で共産主義者の疑いをかけられた人々が処刑・虐殺された。この血塗られた政権は60年の学生運動で追放されるまで続いたが、その間、国民が常時、弾圧・処刑・虐殺されていたので、日帝時代をそれ以上の暗黒時代に描かねばならなかった政治的事情が分かろうというものだ。
 だが、日帝35年の支配は李承晩の頃ほど血塗られていたのだろうか。この間で最大の抵抗運動であり官憲による弾圧事件が三一運動であるが、この死者を韓国は7509人としているが、これは政治プロパガンダ文書である「朝鮮独立運動之血史」から引用された数字で、総督府の集計では553人である。現代の視点で見れば酷いと映るが、その前後の時代との比較論でいえば、李朝は論外としても李承晩政権と比較しても日帝時代ははるかに民生が安定していたと言わざるをえない。日帝時代、朝鮮の治安維持のために存在していた警察官と憲兵は8千人弱だったという。これを見ると、総督府が「弾圧」する必要もないほど治安が良かったとしか思えない。ちなみに、残酷な拷問を行ったとされる憲兵隊であるが、現存する名簿によると隊の大半が朝鮮人である。
 さて、本稿では「朝鮮の人々に贖罪しなければならない」という強迫観念だけでなく、「日朝の不幸な過去を清算をし、日朝国交正常化を図る」という前提的発想にも異議を申し立てるのが趣旨であるから、当然、北朝鮮についても触れなければならない。
 近代朝鮮の最大の悲劇は、軍民350万もの犠牲を出し、都市やインフラの莫大な損壊を強いた1950年の朝鮮戦争である。そしてその戦争の引き金をひいた張本人こそ南朝鮮の併呑を目論んで突如として侵略を開始した金日成ではないだろうか。
 この時、朝鮮民族は自分たちで引き起こした内戦によって日本の物質的遺産の半分を消滅させ、自ら貧しさに没落していった。そして戦前からその推移を見守ってきた韓国人によると、韓国人が本当に“反日”に転じ始めたのはこの後かららしいのである。
 朝鮮半島を没落させた元凶が金日成であることは論を待たないが、二番目の責任者も槍玉に挙げられるべきだろう。それは、連合軍による半島統一間近に突如として大軍を送り込み、半島を舞台にして勝手にアメリカ軍との戦争を始めて3年以上も内戦を長引かせ、その結果として半島を焦土と化し、なおかつ分断を固定化した毛沢東である。
 つまり、日朝平壌宣言でいう「朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えた」のは、第一に金日成であり、第二に毛沢東なのである。そして朝鮮戦争の犠牲者とほぼ同じ人数の民衆を餓死に追いやり、今なお国民の自由と人権を弾圧している金正日もこのリストに加えられるべきだろう。つまり、わが国が過去から現在まで一貫して目指してきた日朝国交正常化とは、近代史上最大の損害と苦痛を朝鮮民族に与えた加害者である金親子を、よりにもよって「被害者」に見立てるという倒錯した行為だったのである。果たして、彼らに対して日本が“反省”し、その“贖罪”として経済援助するという図式、またそれを文書化した日朝平壌宣言に、筋・道理・本質的な正当性があるといえるだろうか。
 ちなみに、以上のような米軍政下に行われた虐殺や、朝鮮戦争最中に行われた李承晩政権による百人万人規模の大虐殺、また最大の加害者が金日成と毛沢東であるという朝鮮戦争の本質について、韓国の歴史教育は沈黙を続けたままだ。韓国軍がベトナム戦争で数万人のベトナム人を虐殺したという事実についても隠蔽している。その一方で、日本の支配については一点の善すらも無い悪逆非道というふうに歪曲し、ありもしなかった冤罪までも着せている(これを誣告という)。圧政と搾取で途端の苦しみ喘いだ民衆は抗日武装闘争を展開し、その殉国的独立運動の結果として朝鮮民族はついに日帝からの独立を勝ち取ったのだというフィクションは、幼稚極まりない自慰的民族主義であるが、一方でわが国に冤罪を強いる「対日誣告史観」でもある。まさに「病的」と評するしかない歴史の捏造である。私は他国の歴史教育についていちいち知る立場にないが、ある民族がこれほどまでに過去の歴史をでっち上げた事例というのは、他に例がないのではないか。
 韓国の独裁政権は、李承晩のあと朴正煕、全斗煥へと引き継がれた。全の時代、80年には死傷者約200人とも言われる光州事件が勃発している。88年の盧泰愚政権誕生とソウルオリンピックまでは、基本的に韓国の政権は強圧的な軍事独裁であり、反体制運動に対しては朝鮮総督府時代よりも不寛容であった。このことから、彼らが自らを正統とするためにいかに日本を悪玉にした歴史観を創造しなければならなかったかが分かる。
 しかも問題は、92年の金泳三政権の誕生によって“民主化”を迎えた後も続いた。なぜなら韓国社会はそれまでの独裁政権の反動から当然そのアンチへと向かうが、その対象である北朝鮮がさらに環をかけた独裁政権であり、反日歴史観を正統としているからである。つまり北朝鮮をさも正統であるとする考えに影響されればされるほど、その歴史観もさらなる反日で歪められていくのだ。かくして客観的事実とはほど遠い、政治的に都合のよい、あるいは民族主義にとって心地のよい神話的な歴史観が今日まで続いているのだ。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

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