SSブログ

9・真実の過去――南北朝鮮の戦後史 日本向け2部(9/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

9・真実の過去――南北朝鮮の戦後史
 戦後、朝鮮半島はアメリカとソ連によって分断された。北朝鮮と韓国の指導者に就いたのはどちらも民主的に選ばれたのではない独裁者である。その政権の正統性が日本の植民地支配に抵抗したという点に置かれたため、彼らが自らの政治基盤を強化するために戦前の日本の支配をどのように位置付け、公教育やマスメディアでどのように描き出さねばならなかったかは想像に難くない。民衆の中にも政治的な風向きが変わったことを敏感に察知して、さも以前から日本の支配に反対していたかのような吹聴をする“にわか独立闘士”が急増したが、それでも基本的にこの時点では為政者はともかく大半の民衆は “反日”ではなかったと言われている。
 戦時中、朝鮮人の日本軍への志願率が異常な倍率であったことや、東南アジアの日本軍捕虜収容所が実質朝鮮人部隊であり、彼らが連合軍捕虜を虐待したためにBC級戦犯として百名以上が処刑されたことはよく知られている。このように朝鮮民族は一歩間違えれば日本帝国の共犯者として国際社会から裁かれかねない切実な状況に立たされていた。そこで独裁者・李承晩が選んだ道は、大嘘をついて被害者に成りすまし、戦勝国を僭称することだった。サンフランシスコ講和会議の際、韓国はなんと「戦前、臨時政府が対日宣戦布告し、中国軍の中に朝鮮人部隊もあった」として戦勝国に潜り込もうとした。だが、むろん臨時政府なるものが連合国に承認されたこともなく、その宣戦布告文とやらが届いたこともないので、各国から一蹴された。ところが当の連合諸国から否定されたにもかかわらず、現在の韓国の歴史教科書にはこの嘘が堂々、明記されている。このような虚偽が今も都合よく信じ続けられているのは、敗戦国として物質的・精神的不利益を被るのは耐えられないと感じる韓国人一般のニーズとよほど合致していたためだろう。
 李承晩という男は非常に悪質であった。彼はまた日本の領土である竹島を侵略し、日本人漁民を虐殺・誘拐し、彼らを人質として日本に収監されている朝鮮人犯罪者の釈放を要求した。今日、韓国人が竹島に関して主張することは、ほとんどデタラメである。このような卑怯なやり方を見ると、南も北も本質的に大差はないことが分かる。
 李承晩の時代はまた韓国で大規模な虐殺事件が相次いだ時代でもあった。46年の大邱事件では300人もの民衆が殺害され、48年の済州島事件でははっきりしないが5万人前後の民衆が殺害されたと思われる。これらはアメリカ軍政下であるとしても、朝鮮戦争時代には李承晩政権自らが左派分子と疑った民衆を大量虐殺している。国民保導連盟事件と国民防衛軍事件では、無抵抗の百万人以上の韓国人が虐殺や意図的な飢餓などで殺害されたと言われている。この他にも各所で共産主義者の疑いをかけられた人々が処刑・虐殺された。この血塗られた政権は60年の学生運動で追放されるまで続いたが、その間、国民が常時、弾圧・処刑・虐殺されていたので、日帝時代をそれ以上の暗黒時代に描かねばならなかった政治的事情が分かろうというものだ。
 だが、日帝35年の支配は李承晩の頃ほど血塗られていたのだろうか。この間で最大の抵抗運動であり官憲による弾圧事件が三一運動であるが、この死者を韓国は7509人としているが、これは政治プロパガンダ文書である「朝鮮独立運動之血史」から引用された数字で、総督府の集計では553人である。現代の視点で見れば酷いと映るが、その前後の時代との比較論でいえば、李朝は論外としても李承晩政権と比較しても日帝時代ははるかに民生が安定していたと言わざるをえない。日帝時代、朝鮮の治安維持のために存在していた警察官と憲兵は8千人弱だったという。これを見ると、総督府が「弾圧」する必要もないほど治安が良かったとしか思えない。ちなみに、残酷な拷問を行ったとされる憲兵隊であるが、現存する名簿によると隊の大半が朝鮮人である。
 さて、本稿では「朝鮮の人々に贖罪しなければならない」という強迫観念だけでなく、「日朝の不幸な過去を清算をし、日朝国交正常化を図る」という前提的発想にも異議を申し立てるのが趣旨であるから、当然、北朝鮮についても触れなければならない。
 近代朝鮮の最大の悲劇は、軍民350万もの犠牲を出し、都市やインフラの莫大な損壊を強いた1950年の朝鮮戦争である。そしてその戦争の引き金をひいた張本人こそ南朝鮮の併呑を目論んで突如として侵略を開始した金日成ではないだろうか。
 この時、朝鮮民族は自分たちで引き起こした内戦によって日本の物質的遺産の半分を消滅させ、自ら貧しさに没落していった。そして戦前からその推移を見守ってきた韓国人によると、韓国人が本当に“反日”に転じ始めたのはこの後かららしいのである。
 朝鮮半島を没落させた元凶が金日成であることは論を待たないが、二番目の責任者も槍玉に挙げられるべきだろう。それは、連合軍による半島統一間近に突如として大軍を送り込み、半島を舞台にして勝手にアメリカ軍との戦争を始めて3年以上も内戦を長引かせ、その結果として半島を焦土と化し、なおかつ分断を固定化した毛沢東である。
 つまり、日朝平壌宣言でいう「朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えた」のは、第一に金日成であり、第二に毛沢東なのである。そして朝鮮戦争の犠牲者とほぼ同じ人数の民衆を餓死に追いやり、今なお国民の自由と人権を弾圧している金正日もこのリストに加えられるべきだろう。つまり、わが国が過去から現在まで一貫して目指してきた日朝国交正常化とは、近代史上最大の損害と苦痛を朝鮮民族に与えた加害者である金親子を、よりにもよって「被害者」に見立てるという倒錯した行為だったのである。果たして、彼らに対して日本が“反省”し、その“贖罪”として経済援助するという図式、またそれを文書化した日朝平壌宣言に、筋・道理・本質的な正当性があるといえるだろうか。
 ちなみに、以上のような米軍政下に行われた虐殺や、朝鮮戦争最中に行われた李承晩政権による百人万人規模の大虐殺、また最大の加害者が金日成と毛沢東であるという朝鮮戦争の本質について、韓国の歴史教育は沈黙を続けたままだ。韓国軍がベトナム戦争で数万人のベトナム人を虐殺したという事実についても隠蔽している。その一方で、日本の支配については一点の善すらも無い悪逆非道というふうに歪曲し、ありもしなかった冤罪までも着せている(これを誣告という)。圧政と搾取で途端の苦しみ喘いだ民衆は抗日武装闘争を展開し、その殉国的独立運動の結果として朝鮮民族はついに日帝からの独立を勝ち取ったのだというフィクションは、幼稚極まりない自慰的民族主義であるが、一方でわが国に冤罪を強いる「対日誣告史観」でもある。まさに「病的」と評するしかない歴史の捏造である。私は他国の歴史教育についていちいち知る立場にないが、ある民族がこれほどまでに過去の歴史をでっち上げた事例というのは、他に例がないのではないか。
 韓国の独裁政権は、李承晩のあと朴正煕、全斗煥へと引き継がれた。全の時代、80年には死傷者約200人とも言われる光州事件が勃発している。88年の盧泰愚政権誕生とソウルオリンピックまでは、基本的に韓国の政権は強圧的な軍事独裁であり、反体制運動に対しては朝鮮総督府時代よりも不寛容であった。このことから、彼らが自らを正統とするためにいかに日本を悪玉にした歴史観を創造しなければならなかったかが分かる。
 しかも問題は、92年の金泳三政権の誕生によって“民主化”を迎えた後も続いた。なぜなら韓国社会はそれまでの独裁政権の反動から当然そのアンチへと向かうが、その対象である北朝鮮がさらに環をかけた独裁政権であり、反日歴史観を正統としているからである。つまり北朝鮮をさも正統であるとする考えに影響されればされるほど、その歴史観もさらなる反日で歪められていくのだ。かくして客観的事実とはほど遠い、政治的に都合のよい、あるいは民族主義にとって心地のよい神話的な歴史観が今日まで続いているのだ。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。