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19・中朝関係悪化の経緯 日本向け2部(19/20) [北朝鮮による日本人拉致問題の解決策]

19・中朝関係悪化の経緯
 この項は最近刊行された『対北朝鮮・中国機密ファイル』(文芸春秋)に負うところが大きい。今まで秘匿されていた“中国からみた北朝鮮”の情報がこの時期にどっと表に出てきたことは、中朝関係の変化を示唆する出来事として興味深い。たとえば、中国から北朝鮮への毎年の援助総額が120億元(約1900億円)であり、06年7月には北朝鮮側がそれを300億元に増やすよう要求して両者の交渉が決裂した、などという裏話は初めて表ざたになるのではないか。
 中朝関係悪化のきっかけは1992年の中韓国交樹立であり、当時、金正日は中国を激しく批判したという。思えばこの頃から金正日の対中不信は芽をふいたようだが、それでも両国関係は完全には冷え込まず、しばらくして平静を取り戻した。
 亀裂が決定的になったのはごく最近、どうやら05年9月の米財務省による金融制裁が発端であるらしい。マカオの「バンコ・デルタ・アジア」が北朝鮮のマネーロンダリングに関与した疑いがあるとして、「マネーロンダリングの主な懸念先」に指定されると、北朝鮮は非常に慌てた。問題はBDAに預けられていた2500万ドルの資金それ自体の凍結ではなく、世界中の金融機関とドルでの国際取引ができなくなることであった。金正日が06年1月に急きょ中国を訪問したのも、このアメリカの金融制裁の解除に関して中国の助力をえるのが主目的だったという。
 ところがVIP待遇を受けたものの、このもっとも重要な目的に対して中国の姿勢は非協力的であり、金正日は深い失望感を味わった。帰国した彼は対中姿勢を一変させる。
 06年7月、北朝鮮は日本海に向けてミサイルを連続発射する実験を実施したが、金正日は中国への事前通告を行わせなかった。日本は即座に米英仏を巻き込んで国連安保理に北朝鮮制裁決議案を提出。当初、中ロが反対し、拒否権をチラつかせるなど交渉は難航したが、最終的に非難制裁決議が全会一致で採択された。中国はぎりぎりまで反対に回る配慮を見せたが、面子を潰されたことが癪に障ったのか、国際社会の空気に逆らうことは得策ではないと判断したのか、結果として採択の賛成に回った。
 この“裏切り”に対して、今度は北朝鮮が怒りを爆発させたという。その夏には両国で外交ルートを通じた抗議や面会キャンセルといった応酬が行われ、感情的な対立が激しさを増していった様子がうかがえる。
 そして同年10月、北朝鮮はついに核実験を強行した。中国への事前通告はわずか20分前であったという。
 それまで中国の指導部は自分たちの了承なしに北朝鮮が核実験を強行することなどありえないと信じていたので、これは青天の霹靂であった。中国は激怒し、かつて冷戦時代に“米帝”を非難する際に使っていた用語まで持ち出して、外交部の公式声明として北朝鮮を非難した。国連安保理では北朝鮮に対する制裁決議案が全会一致で採択されたが、今度の中国は北朝鮮を「かばう」配慮を一切見せず、日米と完全に足並みをそろえた。
 どうやら、核実験は中国にとって二重の脅威と映ったようだ。第一に、中国が北朝鮮の核ミサイルの射程に入ったこと。第二に、日本の“軍国主義”の復活を助長し、日本のカウンター核武装が現実味を増したこと。
 ある意味、中国は自分たちの対北援助が、自身に向けられかねない核兵器開発を助けてきた事実に気づかされたのではないか。しかも、すぐ裏庭で。この辺りは、同じように核とミサイルの開発資金源であった朝銀に1兆数千億円もの公的資金を投入した手先系政治家を抱えるわが国の複雑な心境と通じるものがある。
 この核実験以降、日本の週刊誌などでは北朝鮮高官による「本当に憎いのは中国だ」といった発言も掲載され、中朝両国は潜在的な敵対関係に入ったと思われる。
 さて、以下はこの中朝関係の悪化とちょうど対極をなす米朝の接近に関する私の推測である。
 ブッシュ大統領が金正日を嫌いながらも、対北政策をそれまでの強硬策(ネオコン案)から穏健策(国務省案)へと切り替えたのは、ちょうど中朝関係の悪化が表面化した06年の夏である。果たしてこれは偶然だろうか?
 おそらく、財務省による金融制裁に対する北朝鮮の激烈な反応を見て、アメリカの戦略家の中には自分たちが北朝鮮の心臓を鷲づかみにした事実に気づいた者がいたに違いない。つまり、生かすも殺すも自由というわけである。また、ちょうど同じ頃、中国と北朝鮮の関係がリアルタイムで悪化していく様子を諜報機関を通して横から観察していた結果、史上初めて“ある可能性”が生じたことも明らかになった。それは、もしかしてうまくいけばアメリカが北朝鮮を取り込むことができるのではないか、という可能性である。
 この時に北朝鮮の戦略的価値に気づいたのか、それとも以前からアメリカの対中戦略とエネルギー戦略にとって同国が重要な国家である事実に着目していたのかは分からない。私は後者であると思う。北朝鮮は北京を一番早く核攻撃できる国であり、中国にとっての同国はアメリカにとってのキューバのようなものだ。さらにウランをはじめとする豊富な鉱物資源を有する。ならば、金融制裁で北朝鮮を崩壊させて後始末に苦労するよりも、むしろ取り込んだほうが国益になるのではないか…。そう考え、政権内で主張した戦略家がいたとしても不思議ではない。
 いずれにせよ、06年夏の時点で、現実に中朝関係は急速に悪化し、アメリカは依然として北朝鮮の生殺与奪の権限を握っていた。アメリカは水面下で北朝鮮と話し合う様々なチャンネルも持っている。それにアメリカほどこの半世紀間、表面とは裏腹の秘密工作を外国に対してやり続けた謀略国家もない。
 06年10月の北朝鮮による核実験強行を一番喜んだのも、実はアメリカではないのか。金正日はそれまで、ネオコンのアメリカによってイラクのような目に合わされるかもしれないと恐怖していた。だから「わが国は核を持っているぞ」というパフォーマンスに賭け、アメリカの譲歩を引き出そうと目論んだ。それに対して、腹に一物あるアメリカは、北朝鮮の望みどおりに“敵視政策”を止めてみせ、“非核化”を条件にして「譲歩しようではないか」と態度を変えてみせた。ここで両者の凹凸がかみ合い、歩み寄りが始まった。一方で、この核実験を機に中朝関係は修復不可能なまでに悪化した。
 この流れを北朝鮮の立場から見ると、「米中逆転」が生じたということである。
 皮肉なことに、それは安倍前総理の訪中による日中の関係改善の始まった頃だった。つまり中国の立場から見れば「日朝逆転」である。今や金正日の目から見れば、アメリカが後ろ盾で、日中が敵国と映っているかもしれない。そしてこの構図をわが国のアングルから眺めると、驚くべきことに対金正日においては、アメリカが「敵の友」であり、中国が「敵の敵」となるのだ。つまり、わが国から見てもまた「米中逆転」なのである。
 このように極東情勢は以前とは根幹から変化した。金正日は日中共通の敵と化したのだ。このことは山田案の成功を保障する状況がさらに整ったことを意味する。そしてアメリカは、方針を再度変えない限り、少なくとも対北朝鮮においてはもはや同盟国ではない。

「日中関係を利用して日本人拉致問題を解決する方法」2007年10月作成・配布
【文書の構成】
・日本向け1部(1~10/10)
・日本向け2部(1~20/20)
・中国向け1部(1~10/10)
・中国向け2部(1~15/15)

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